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一時帰国しております。
新型肺炎のニュースが毎日のように聞こえてきますが、到着した関西国際空港は、特に混乱したりしている様子はなく、入国も荷物が出てくるのも税関審査もものすごくスムーズでした。
バングラデシュも現時点では感染者情報を報道で見ることはありません。が、そもそも感染しているかをチェックするツールがあるのか、具合が悪くなったときに国民の何割くらいが病院に行くのか定かではないので、チェック漏れの現地人がいたとしてもあまり驚かないかもしれません。居住・衛生状態があまり良くなく、気候が変わると一斉に体調を崩しがちな彼ら、肺炎に限らず、感染症などが流行るとすぐに広まりそうなのが心配。
最近毎日のようにニュースで見る武漢ですが、私が唯一短期留学をし、20歳を迎えた思い出の地。(30歳はダッカで迎えました。40歳はどこか素敵な場所であってほしい)
特に意味はないけど武漢の写真を載せて回顧してみます。
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武漢の思い出
大学で中国語を専攻していたため、2年生の夏休み、3週間の短期留学に参加しました。
行き先は武漢市内にある大学。武漢大学のすぐ隣です。
中国の大学ってめちゃくちゃ広いと知る。広すぎてタクシーも走っています。宿舎から授業をする建物まで徒歩20分くらいかかったので、雨の日はタクシーを探していました。(当時初乗り3.5元)
初日に食堂で食べた何かの麺と小さな饅頭
食堂で食べると味はともあれ激安でしたが、ちょっと香ばしい気持ちがあったのか、あまり食堂には行かなかった記憶。
代わりに通っていたのがこちら。
香ばしい割に素朴チョイス。。!いや、ここくらいしか知らなかった。
お水のポットに菊の花を一つ入れた菊花茶を出してくれ、餃子が美味しいお店でした。
宿舎から外に出るのも20分くらいかかりましたが、外はこんな感じでした。
2008年、北京オリンピックの始まる直前。賑わっていました。
近くにあるスーパーで日用品買い出し。
室内用にお揃いのスリッパ買うところが10代っぽい。10代!
この1週間後くらいにスリッパを買い直しているため、このスリッパは何かの事情で使えなくなったのだと思う。なんだっけ。
武漢大学を超えて湖までサイクリングに行った日。
途中から大雨で、自転車を押して半泣きになりながら3時間くらい歩いた記憶。
部屋に戻ったら、先に帰っていた別の部屋の子がケンタッキーを買ってきてくれていた。優しい。
博物館に行った日。
何を見たかは覚えていないけど、仲のいい友人が「私結構ガイコツ見るの好きなんだよね」とガイコツの展示を見て喜んでいた記憶だけあります。
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20歳の誕生日が近くなり、友人とケーキを見に行ったとき。
当時大阪の洋菓子店でバイトをしていたのですが、いつも見ているケーキとあまりに違うタイプのケーキだったので驚きました。買わず。
カラオケに行ったとき。中国のカラオケはみんなそうなのか?フルーツ盛りとスイカの種、ココアピーナツ、ポップコーンなどが出てきて豪華。
日本の歌もありました。
3週間の留学も終わりに近い頃見つけたおしゃれカフェ。
iPhoneが普及し始めたのって2009年か10年くらいだから、この頃はまだGoogleマップも持っていなかった。だから自力でお店を探すくらいしかなかったのかも。
ガラケーだったので海外では使えず、同じ部屋の友人のPCを借りて時々日本にメールを送る、という生活でした。
スタバもありました。あんまり行ってなかったけど。
武漢タンブラー。渋くて気に入っていて、しばらく使っていました。
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平和な中都市、というイメージがあったのですが、今や外資系企業もたくさん拠点を置いている武漢。ニュースを見ていると、病院に人が殺到していたりして、大変な様子。
過去に中国での何かのニュースを見て、どうして順番を待たず我先にと急ぐんだろう?と疑問に思っていたとき、会社の先輩が「きっと普通に待っていたら5億番目くらいになるからじゃない?」と言っていたのが一番腑に落ちた答えでした。
5億番目でも10億番目でも、確実に順番が回ってくるようになればいいのになぁと実家でバングラ生活の心労を癒しつつ思うのでした。
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コメント
コメント一覧 (2件)
恥ずかしながら、武漢って知りませんでした。この件で初めて聞きました。意外と大都市だし日本の企業も進出しているのに、変なことで有名になりましたね。
大都市ですが日本人に有名な観光地などはないですしね^^;(中国史が好きな方は黄鶴楼とかご存知なのかも。)
これまで地名を知らなかった人が多い分、今後も武漢=新型肺炎のイメージが付いてしまいそうですね・・