スポンサーリンク
先輩駐妻さんのブログで見つけた言葉。
夫に頼らず日本に帰れますか?その準備が駐在妻の心のお守りになります。 | 料理、農作業、ときどき育児
まさに!!その通り!!今私がなんとか1日1日を乗り切っているのも、「いざとなれば自力で逃げられる」状態であるからだと思っています。
逃げるというのは
・日本に帰る
・もしくは近場の安心できる国や都市に移動して滞在する
自力、というのは
・自分のお金で(自分の口座の預貯金から)
・自分でフライトを予約、自分で荷物をパッキングし、最寄りの空港まで移動。自分で飛行機に乗って目的地の空港に降り立つ
ということ。
もし本当に帰りたくなったら自分のクレジットカードでダッカから日本に娘と帰ろう!思っていたのですが、それができるということが 大きな心の支えになっているのだと思います。
「インドでヨガしてきたよ〜」みたいな友達が周りに多い環境でやってきたので、また日本にいるときは公共交通機関をバリバリ使わないといけない地方都市に住んでいたので、一人で移動することになんら抵抗や難しさは感じていなかったのですが。
日本で、車必須の土地に行った時に、一定数の「電車の乗り方がわからない、飛行機なんて以てのほか」という人がいると知り、きっと今海外に住んでいる人でも、いつも夫と移動しているから自己手配はしていない、という方もいらっしゃるのかなと想像します。お給料が夫の海外口座に入るので、海外に来てからはお金の流れは夫だけが把握している、という方も(うちもそうです)
そんな方でも本当にこの場所で生きて行くのが辛い、と思ったときに、一旦安心できる場所に移動して休憩するための手段は確保しておくのが、心の支えになるかもしれません。
辛くなると、娘の相手を上の空でしつつ、どこに逃げようかなと考えるのですが、やはりバンコクかなと思っています。ダッカから直行便で2時間少し、アパートメントホテルも安い、物価も安い、ごはん美味しい。頭を冷やしたい時、日本だと「ちょっとコンビニ行ってくる」で済むけど、ダッカだと外出歩けないからバンコクくらいまで行くしかない。気が済めば、すぐダッカに帰れる。ついでに豚肉とか野菜とかも調達できる。
こんなこと言うと、すぐに「いつでもシンガポール来てね」と言ってくださる先輩奥様がいらっしゃる(T-T)もう10年くらいお世話になりっぱなしなのですが、また、お世話になります。
昭和と平成の混じる年に生まれた世代、なんだか教育方針や考え方がよく変わっていたような。小学校に入学したときは体操着がブルマだったけど2年生で短パンに変わる。中1の時の部活は「水飲むな」だったけど中2からは「いつでも水飲め」に変わる。途中で「ゆとり教育」に変わって急に道徳の授業が増える。まだまだ「我慢は美徳」とか「根性は正義」みたいな考えが日本には多いと感じるし、自分の中にもあるんだろうなぁと思っていますが、いつ「我慢禁物」になるかわかりません。毎日心を無にしてやり過ごすより、ちょっと勇気がいっても明るい気分で過ごせる方がいい。いつでも逃げ出せる状態でいることの大切さについて、100回頷いた話でした。
スポンサーリンク
コメント